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◆1998.アントレ10月号(リクルート) |
アントレ10月号 1998<261p> 諦めなかった「ドカベン」の夢 ![]() 管清和さんが「ドカベン」に魅せられて漫画家になることを決意したのは、小学4年の時だった。 「10年くらい、絵を描いてきましたが、迷いや不安はずっとありました。 23歳の頃には、居酒屋をやろうかなんて思っていた時期もありました。 でも、25歳頃からまたマンガやイラストを描く事に執着しはじめた。 やっぱり、絵を描く事が好きでしょうがないから、続けてこれたんだと思います」 もって生まれたセンスと10年の継続に力を与えられ、管少年の夢は身を結びつつあった。 メジャーなマンガ雑誌にマンガが掲載され、新人賞もいくつか受賞した。 もう1つのビックなマッチングは(有)デジタルシステムの代表取締役社長・平松高夫氏との出会いだ。 また1つ、夢に向かってステップアップした管さん。次なる目標は? ’98年の7月上旬、自宅兼仕事場にて取材して頂きました。 |
| コラム:マンガ以外の仕事も大切・・体験がリアルな作品を生む!? |
| 実は下の【バイト先情報】にもあるリクルートという会社には随分、お世話になってます。高校卒業して一度、横浜のスーパーに就職してその後、就職関連の部署で営業の仕事をしてた事があるんです。まだ、江副さんが社長で<リクルート事件>で起訴される前です。4月の入社式が武道館で行われ、江副さんが壇上にいらっしゃって、長淵剛 営業の仕事ってこのHPを見てくれている中・高生くらいの人は分かるかな? 実は私もあまり分からないで始めてしまった部分もあるんですが、いわゆるネクタイを締めて、背広着て、外に出て物を売ってくる・・っていうやつです。 「マンガ描くにはたくさんの経験が必要!!」って当時、思ってましたから業界に入る前にワンクッション置きたかったんですね。20歳の頃でしたが、週に200万円という営業数字を追っかけてやってました。当然、なかなか達成するものではなかったですが、あの時、経験した事が自分の人生の中でも大きくウェートを占めてますね。たくましくなったというか・・当時、まだまだ田舎から出て来て2年足らずで思いっきり世間知らずでしたので、勉強させてもらった部分がいっぱいありますし、生涯でもっとも良い影響を与えてくれた人達と出会えて、今思うととても幸せな時間を過ごさせて頂きました。リクルートという会社が当時ではとても特異な会社でもあったのもラッキーでしたし、(当時、平均年齢25歳ちょっとだったような・・)お世話になった方々にはとても感謝しています。 バイトはたくさんやりました。アシスタント経験も結構あるのですが、あまり肌が合わなかった様で、時給の良いバイトを探しては週3・4日働いて、作品描いて投稿、持ち込みの日々を送ってました。 親父が商売やってましたし、自分も販売員・営業と経験したのであえて、「客商売ではないもの・・」を選んでました。ズルズルとハマってしまいそうな不安が当時、あったんですね。今思えばもっと、人と接するバイトをやっておけば良かったかな???というのも正直な所です。 キャラクターを作る引き出しって、たくさんあった方がいいじゃないですか。 色々な作り方があるでしょうけど、私のデビューのきっかけになった作品は「自分を主人公にして、親友だと思っていた奴にマンガの中で仕返しをする!!」というものでした。ある意味それ以後、マンガの描き方が理解出来た気がします。やっぱりリアルでの対人関係は若い時には持った方が後に生きてくる気がしますね。私も20代前半、上手くいかなくて引きこもっていた時期があります。働きたくない・・外に出たくない・・気持ちも分かるのですが、人は人と関わっていかなきゃ生きてけないのは事実ですし、外に出ないと何も始まらないのも正直な所です。しんどい事もあるけれど、しんどい事がいずれ楽しい事に繋がってくるので、若い頃はどんどん外に出て欲しいですね。 ところで、<描き方>のコーナーで紹介してる菊田みちよ 私は今でもリゾートバイトやってみたいです!!嫁さんに殺されます(泣)。 【バイト先情報】 ◇デジタル・クリエーター系求人検索サイト「Job-Link!」 ◇春★デビューバイト!短期★高収入情報充実! ◇登録制バイトなら「フロム・エーバイトヘルパー」 ◇「リクナビ派遣」マスコミ、商社、旅行など、人気の業界で働く ◇3分で登録完了!お仕事までの手続きも簡単!!「モバイトドットコム」 |