◆1998.アントレ10月号(リクルート)
リクルートの独立・開業・起業支援応援誌です。
以前、旧HPに載せていたものをそのままの画像・全文を抜粋しています・・
画像はgifファイルで保存したもので悪いですねぇーッ!!ご勘弁を・・(汗)。


アントレ10月号 1998<261p>
諦めなかった「ドカベン」の夢



管清和さんが「ドカベン」に魅せられて漫画家になることを決意したのは、小学4年の時だった。
「10年くらい、絵を描いてきましたが、迷いや不安はずっとありました。
23歳の頃には、居酒屋をやろうかなんて思っていた時期もありました。
でも、25歳頃からまたマンガやイラストを描く事に執着しはじめた。
やっぱり、絵を描く事が好きでしょうがないから、続けてこれたんだと思います」
もって生まれたセンスと10年の継続に力を与えられ、管少年の夢は身を結びつつあった。

メジャーなマンガ雑誌にマンガが掲載され、新人賞もいくつか受賞した。
しかし、すべてのクリエーターに共通する悩みだろうが、制作しながらの営業というのは楽ではない。
スポット的な仕事の依頼はあっても、なかなか継続的な仕事に結びつかなかった。
当然、マンガだけでは生計が成り立たない。
週に3から4日はアルバイトをしながらの下積み生活が続く。
つかみかけた夢が、また遠ざかっていくような不安を感じた。
「持ち込みで出版社を回ったり、友人にホームページを作ってもらったり、
四苦八苦していた時に、ダメモトでアントレにも掲載してみようと思ったんです」


「これからは、絵だけでメシが食えるかも‥」

脱サラして5年の奥山達彦氏(39歳)は、3年前からスポーツ関係のエージェントをサポートしている。
創刊号から購読しているアントレで、今回は販促用情報誌に
挿し絵を描いてくれるマンガ家を探していた。
「コミックっぽいティストのマンガを手ごろな料金で描いてくれる若いマンガ家が欲しかったんです。
管さんのホームページを開いてみたら、絵の感じがわたしの求めていたものに近かったので
早速メールを送りました」管さんのマンガが掲載される事になった情報誌は、
渋谷、名古屋、大阪などのワールドスポーツプラザ内にあるメジャーリーグのオフィシャルショップに
おかれるもの。毎月1回発行され、1年間の継続が決定している。
管さんの得意分野の1つでもある野球選手のコミック風カットで、しかも記名掲載。
管さんの絵が人目に触れる格好のチャンスになることは間違いない。

もう1つのビックなマッチングは(有)デジタルシステムの代表取締役社長・平松高夫氏との出会いだ。
CG制作、出版などを主な事業とする同社では、雑誌の連載やアニメーションなどで展開する
新しいマンガを企画していた。
「絵が斬新で、ある程度の企画力もあるマンガ家の卵を探していました。
実際どれくらい描けるか分からないので、管さんのホームページで作品を見たら、
実にすばらしかった。力を感じましたね。また、すぐに会いにきてくれたことにも好感をもちました。
通信技術が発達しても、やはり顔も知らない人とは一緒に仕事はできませんからね」
未来に結びつくような継続的な仕事を2件もゲットした管さんは、
急にあわただしくなった身辺にうれしい悲鳴を上げている。
「腹を決めて、絵を描く事に執着したいと思います。絵を描くことで食っていきたいですから」


いろいろなジャンルに挑戦し将来は出版したい管さんがゲットした仕事は、以上の2件ではなかった。
長野県のPTA役員の女性からPTA発行の機関紙に
小学校の先生方の似顔絵を描いて欲しいという依頼、
バイク店オーナーからパンフレットに載せるイラストが4点欲しいなど、
単発の仕事が7件あり、すべて請け負った。
また、茨城県でマンガ家のネットワークを主催する同業者からはネットへの参加を呼びかけられた。

また1つ、夢に向かってステップアップした管さん。次なる目標は?
「マンガでも、ポップなものや劇画的なものなど、いろいろなジャンルに取り組んでいきたいですね。
いろんな自分に出会えるから、イラストの仕事も広げていきたいと思います」

<文・長島梓>





’98年の7月上旬、自宅兼仕事場にて取材して頂きました。
じゃマール同様、営業活動の一環として定期的に掲載していたところ
興味を持って頂きこのような形になりました。
前日までは雨が降っていて、涼しい日が続いてたのですが‥この日はその夏一番の猛暑。
しかも、僕の家にはまだクーラーというものが入っていなかったのでもう、大変!!
取材に来て頂いた長嶋さん・山田さん、そして参加して下さった奥山氏・平松氏には
大変ご迷惑をおかけした次第です。扇風機ひとつの中、汗ダラダラになりながらのご協力、
ほんとに感謝しております。ありがとうございました‥
余談ですが・・この時の私は近年で一番太っています。(77kg)
暑苦しいです−現在はここ10年で一番軽い12kg減の65kgです。
(良いダイエット方法???教えますよ‥ほほっ)
なお、イラストコーナーにてワールドショッププラザ内におかれた作品を展示中です-
(※現在?ありますね・・)

リクルート関連HP http://www.isize.com/

コラム:マンガ以外の仕事も大切・・体験がリアルな作品を生む!?
実は下の【バイト先情報】にもあるリクルートという会社には随分、お世話になってます。高校卒業して一度、横浜のスーパーに就職してその後、就職関連の部署で営業の仕事をしてた事があるんです。まだ、江副さんが社長で<リクルート事件>で起訴される前です。4月の入社式が武道館で行われ、江副さんが壇上にいらっしゃって、長淵剛の<乾杯>を全員で合唱したのを強烈に覚えてますね。
営業の仕事ってこのHPを見てくれている中・高生くらいの人は分かるかな?
実は私もあまり分からないで始めてしまった部分もあるんですが、いわゆるネクタイを締めて、背広着て、外に出て物を売ってくる・・っていうやつです。
「マンガ描くにはたくさんの経験が必要!!」って当時、思ってましたから業界に入る前にワンクッション置きたかったんですね。20歳の頃でしたが、週に200万円という営業数字を追っかけてやってました。当然、なかなか達成するものではなかったですが、あの時、経験した事が自分の人生の中でも大きくウェートを占めてますね。たくましくなったというか・・当時、まだまだ田舎から出て来て2年足らずで思いっきり世間知らずでしたので、勉強させてもらった部分がいっぱいありますし、生涯でもっとも良い影響を与えてくれた人達と出会えて、今思うととても幸せな時間を過ごさせて頂きました。リクルートという会社が当時ではとても特異な会社でもあったのもラッキーでしたし、(当時、平均年齢25歳ちょっとだったような・・)お世話になった方々にはとても感謝しています。
バイトはたくさんやりました。アシスタント経験も結構あるのですが、あまり肌が合わなかった様で、時給の良いバイトを探しては週3・4日働いて、作品描いて投稿、持ち込みの日々を送ってました。
親父が商売やってましたし、自分も販売員・営業と経験したのであえて、「客商売ではないもの・・」を選んでました。ズルズルとハマってしまいそうな不安が当時、あったんですね。今思えばもっと、人と接するバイトをやっておけば良かったかな???というのも正直な所です。
キャラクターを作る引き出しって、たくさんあった方がいいじゃないですか。
色々な作り方があるでしょうけど、私のデビューのきっかけになった作品は「自分を主人公にして、親友だと思っていた奴にマンガの中で仕返しをする!!」というものでした。ある意味それ以後、マンガの描き方が理解出来た気がします。やっぱりリアルでの対人関係は若い時には持った方が後に生きてくる気がしますね。私も20代前半、上手くいかなくて引きこもっていた時期があります。働きたくない・・外に出たくない・・気持ちも分かるのですが、人は人と関わっていかなきゃ生きてけないのは事実ですし、外に出ないと何も始まらないのも正直な所です。しんどい事もあるけれど、しんどい事がいずれ楽しい事に繋がってくるので、若い頃はどんどん外に出て欲しいですね。
ところで、<描き方>のコーナーで紹介してる菊田みちよ先生は実は私の教え子なのですが、登録制のワインの売り子さんのバイトとアシスタントをしながら頑張ってた時期もあるんですよ。
私は今でもリゾートバイトやってみたいです!!嫁さんに殺されます(泣)。

【バイト先情報】
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